重要文化重要文化財 服部家住宅:歴史・建築・価値の総覧
愛知県弥富市にある服部家住宅は、その歴史と建築様式から、国指定の重要文化財となっています。建物だけでなく、敷地全体や古文書までが指定されています。
1. 服部家の歴史と由緒
服部家は、南北朝時代に伊賀国を拠点とした南朝の武将、服部伊賀守宗純を祖とします。
- 弥富への定住: 永享7年(1435年)、宗純の子孫は尾張国津島を経て、後に市江島(現在の弥富市北部)に居を定め、村長を務めました。
- 村の再興: 天正2年(1574年)、織田信長との戦乱で荒廃した村を立て直すため、中興の祖である初代・服部弥右衛門尉正友が天正4年(1576年)に荷之上村に住居を構え、新田開発に尽力しました。
- 家柄と功績: 江戸時代には代々大庄屋を勤め、新田開発の功績により尾張藩から苗字帯刀を許された旧家です。また、尾張津島天王祭の主催者(車屋)でもありました。
- 尾張徳川家とのつながり: 4代当主・弥兵衛定元の妹「く乃」が、尾張徳川家8代藩主・宗勝公の幼少期の養育係を務めたことから、徳川家との深いつながりがありました。この縁から、初代藩主義直公の儒牌や、宗勝公が手植えしたとされる椎の木など、多くの拝領品が現在も伝わっています。
2. 重要文化財としての指定内容と価値
服部家住宅は、以下の通り、複数の建造物と敷地が重要文化財に指定されています。
- 指定建造物と指定日:
- 昭和49年2月5日指定: 主屋、離れ座敷、表門(長屋門)
- 昭和55年1月26日追加指定: 文庫蔵、土塀、宅地、古図・古文書7点
- 宅地: 堀を含む2849.58m²の広大な敷地も指定されています。
- 建築年代の古さ: 主屋は「尾張名所図会」に「天正年中に建てしままなり」と記されており、400年以上前の建築当時の姿を今に伝えている点が特筆されます。また、その後の改造や修理の記録が詳細に残されていることも、大きな歴史的価値となっています。
3. 各建造物の特徴と建築技法
- 主屋:
- 「鳥居建て」形式: 日本の建築史において古い形式とされ、大黒柱を持たない太く頑丈な柱と横架材で構成されています。
- 「やりがんな」の跡: 板戸には、当時の手工具である「やりがんな」の跡が残り、日本最古のものと言われています。
- 「樋端造ひばたづくり」: 鴨居に小材を打ち付けた古代の技法も随所に見られます。
- お座敷の天井: 床の間に対して直角に張られた「棹天井さおてんじょう」は、武家造りの「不浄の間(切腹の間)」の形式を取り入れたものとされています。
- 寝室: 当時の農家では珍しい畳敷きで、枕元には**「刀掛け」**があり、苗字帯刀を許された家柄を示しています。
- 離れ座敷:
- 移築: 安永9年(1780年)に伊勢国(現在の三重県多度町)から移築された建物です。
- 「有楽流」茶席: 後に増築された茶室は、織田信長の実弟・有楽斎が興した**「有楽流」の原型**をなすものとされ、壁の上塗りには奈良の薬師寺と同じ土が使われるなど、文化庁もその重要性を高く評価しています。
- 貴人の宿泊: 昭和22年には、高松宮様が宿泊された由緒ある部屋も含まれています。
- 表門(長屋門):
- 建築年代: 江戸時代中期以降の再建と推定されています。
- 特徴: 中央に門扉、両側に部屋や土間を持つ武家屋敷の長屋門の祖形をなしており、茅葺き屋根と白壁の土塀が続いています。
4. 建築物の保存と継承
昭和51年から55年にかけて、文化庁の指導のもと総工費約1億2千万円をかけた大規模な保存修理工事が行われました。この工事では、単に古い姿に戻すのではなく、古文書や建物の痕跡を詳細に調査し、明治以降の修理も含めた現状に近い年代での復原という極めて稀な方針がとられました。
この方針は、服部家住宅が日本建築史における変遷の歴史を示す貴重な存在であることを立証しています。現代に生きる私たちは、この貴重な文化遺産を、破壊・滅失させることなく次世代に受け継いでいく義務と責任を負っています。
文化財保護の大切さと維持管理の困難さをご理解いただき、ご協力をお願いいたします。
施設情報
東名阪自動車道「弥富インター」から 約700m
所在地: 〒498-0011 愛知県弥富市荷之上町石仏419番地
電話: 0567-67-2339
アクセス:
JR・近鉄「弥富」駅下車 約2.8km
名鉄「五ノ三」駅下車 約500m
重要文化財 服部家住宅
服部家住宅は、愛知県弥富市にある貴重な重要文化財です。建物だけでなく、宅地や古文書も含まれており、その歴史的・建築的な価値は全国的にも稀なものです。
1. 重要文化財の指定概要
服部家住宅は、以下の通りに重要文化財に指定されています。
- 主屋: 昭和49年2月5日指定。
- 離れ座敷: 昭和49年2月5日指定。
- 表門(長屋門): 昭和49年2月5日指定。
- 文庫蔵: 昭和55年1月26日追加指定。
- 土塀: 昭和55年1月26日追加指定。
- 宅地: 昭和55年1月26日追加指定。堀割を含む2849.58m²の広大な敷地で、宅地まで重要文化財に指定されているのは中部地方で唯一の例です。
- 古図、古文書: 7点が追加指定されています。
2. 尾張徳川家との深いつながり
服部家は、江戸時代に尾張徳川家と深い関係を持っていました。
- 第4代弥兵衛定元: 妹の「く乃」が、尾張徳川家第8代藩主・宗勝公の幼少期(10歳まで)の養育係を務めました。
- 拝領品: 宗勝公とのゆかりから、徳川家から拝領した多くの品々が所蔵されています。
- 儒牌(じゅはい): 尾張徳川家初代藩主・義直公の儒牌が仏壇に安置されています。
- 椎の木の古株: 宗勝公が幼少期に手植えした椎の木の株が庭に残っています。
- 土印の石: 名古屋城築城時に使用された石と同種類のものが拝領品としてあります。
- 古文書: 「御触おんふれ状」や「願達留がんたつどめ」といった古文書が、当時の様子を伝える貴重な資料として残されています。
- 藩からの恩恵: 服部家は新田開発の功績などにより、尾張藩から苗字帯刀を許され、大庄屋や兼帯庄屋を勤めていました。
3. 各建物の建築的特徴と歴史
- 主屋:
- **大黒柱がない「鳥居建形式」**という、古い建築様式が採用されています。
- 勝手の間・南の間: 当初は一部屋でしたが、天保時代に三部屋に改造され、畳が敷かれました。
- お座敷・中の間: 当時から畳敷きで、当時の農家としては珍しい例です。板戸には**「やりがんな」の跡が残り、古代の建築様式である「樋端造ひばたづくり」**の手法も見られます。
- お座敷の天井: 通常とは異なる、床の間に対して直角に張られた天井は、武家造りの「不浄の間(切腹の間)」の形式を模したものとされています。
- 奥の間: 畳敷きで、枕元には**「刀掛け」**があり、苗字帯刀を許された家柄の証しとなっています。
- 離れ座敷:
- 安永9年(1780年)に、現在の三重県多度町から隠居用として買い受け、移築された建物と推定されています。
- 天保年間以降、書院や廊下、茶席が増築され、安政6年(1859年)に新座敷が新築されて現在の規模になりました。
- 茶席: 織田有楽斎うらくさいの流れを汲む**「有楽流」**の原型をなす茶席とされ、壁の上塗りには奈良の薬師寺と同じ土が使われるなど、文化庁もその重要性を高く評価しています。
- 西の座敷: 昭和22年、高松宮様が宿泊された由緒ある部屋です。
- 表門:
- 江戸時代中期以降の再建と推測される長屋門で、武家屋敷の面影を今に伝えています。
- 門の左右には、かつて供部屋と下男部屋がありましたが、修理により武者窓付きの納屋に復元されました。
4. 昭和の大修理と保存の意義
昭和の大修理工事は、文化庁の指導のもと、総工事費約1億2000万円をかけて昭和55年1月に完了し、往古の姿に復原されました。この修理では、建物の痕跡と古文書の記載を照らし合わせ、当初の姿に完全に戻すのではなく、明治以降の修理も含めた現状に近い年代で保存するという、全国的にも極めて稀な方針がとられました。これは、この建物が日本建築史上において、多岐にわたる歴史的な変遷の痕跡を保存する貴重な存在であることを示しています。
現代に生きる私たちは、この貴重な文化遺産を後世に伝える義務と責任を負っています。見学の際には、文化財の価値と保存の大切さを理解し、礼儀をもって見学することが求められています。