江戸時代の旅と道中記から見る尾張地域の姿
この文章は、江戸時代の庶民の旅の様子を「道中記」という旅行記録から読み解き、特に尾張地方(現在の愛知県西部)の旅の実態について解説しています。
1. 江戸時代に旅が盛んになった背景
江戸時代に多くの人々が旅に出た背景として、以下の点が挙げられます。
- 徳川平和: 300年近く続いた安定した江戸幕府の統治下で、五街道などの交通網や宿場が整備されたこと。
- 出版文化の発展: 『東海道中膝栗毛』などの旅行記が出版され、人々の旅への好奇心を掻き立てたこと。
- 伊勢参りの流行: 「一生に一度は伊勢参り」と言われるほど、伊勢神宮への信仰が高まり、多くの人々が旅に出るきっかけとなりました。
- 旅の楽しみ: 日常から離れ、見聞を広め、さまざまな知識や情報を得ることが、旅の大きな目的となっていました。
2. 尾張地域を通る旅のルートと実態
道中記を分析すると、旅のルートにはいくつかのパターンがありました。
- 七里の渡しルート(宮宿-桑名宿): 東海道の主要ルートで、船で伊勢湾を渡るルート。
- 佐屋街道ルート(佐屋宿-桑名宿): 陸路で佐屋宿まで行き、そこから船で渡るルート。
- 津島街道ルート(津島宿経由): 津島街道を通り、佐屋宿から船で渡るルート。
これまでの一般的なイメージでは、宮宿から七里の渡しを利用するのが主流と思われていましたが、道中記の調査では、佐屋街道や津島街道を経由するルートを利用する人が圧倒的に多かったことが判明しました。これは、旅人が観光や休憩を兼ねて、名古屋城下や津島神社などの名所を訪れたかったためと考えられます。
3. 観光地としての名古屋と津島
道中記に記された名古屋と津島の様子は以下の通りです。
- 名古屋: 「日本一の都」「大都会」と称され、大丸屋(大丸百貨店の前身)や中チア(中日百貨店の前身)などの大きな商店が並び、大変な賑わいを見せていたことが記録されています。
- 名古屋城: 旅人にとっては人気の観光スポットで、「金鯱」が有名でした。しかし、旅人は「よそ者」として入城が許されていなかったため、地元の人間のふりをして入城するという、今では考えられないような「裏技」が使われていたことも記録されています。
- 津島: 津島神社は「西の祇園、東の津島」と称されるほど、東日本を中心に信仰を集めていました。特に6月の「津島祭り」は人気で、これに合わせて旅をする人が多く、多くの道中記でその賑わいが記録されています。
4. 休憩所や渡し船でのトラブル
道中記には、旅の楽しさだけでなく、当時の旅の実態や苦労も記されています。
- 宿の評判: 宿の良し悪しが具体的に書かれており、「悪い宿」として酷評されている場所もあれば、「良い宿」として推奨されている宿もありました。
- 渡し船のぼったくり: 津島や佐屋の渡し船では、正規の料金に加えて「花祝儀」や「坂手」といった名目でチップを要求されるなど、ぼったくりが横行していたことが記録されています。
- 渡しの実態: 渡し船が利用できない場合は、渡し場から遠い場所まで歩かされたり、川の水量が増えて船が出せないといった不測の事態に直面することもあったようです。
これらの記録から、江戸時代の旅は、現代の旅行とは異なり、多くの困難を伴うものであったことがわかります。しかし、それでも人々は、日常を離れて見聞を広め、楽しむために積極的に旅に出ていたことが、道中記から読み取れます。